都内某所の高級マンションに、至極幸せそうな顔の女が居た。
そして玄関には、女とは真逆に至極不機嫌そうな男が居た。
そして2人は、夫婦だったりする。

事は数分前に遡る。
今日は年に一度の大イベントである、バレンタインデーだ。
性格に多少・・・いや、かなり問題はあるが、顔が良い夫、高杉は鞄に入り切らぬほどのチョコを貰っていた。
高杉は甘いものは苦手だが、食べれないわけではない。
しかし、この鬼のような量のチョコを食せるほど好きなわけでもなかった(恐らく、これを食せるのは銀髪の天パくらいだろう)。
うんざりしながらこの大量の荷物を抱え我が家へ帰り扉を開けた瞬間、尋常でない甘ったるい匂いが鼻を突き、思わず顔を顰めた。
常に我が道を突き進む何事にも図太い高杉ではあるが、これには流石に眩暈がした。
そして今、高杉は玄関に立ち尽くしていた。
入ろうか、否か。
だがここは自分の家であるわけで、自分が出て行く意味が分からない。
かと言って奥へ入れば入るほど、この匂いが強くなるであろうことは明らかであった。
元はと言えば、この奥に居るであろう彼の妻が原因なのだ。
そう思うと段々腹立たしくなってきて、どうやって仕置きをしてくれようかと考えていると、そんなことも吹っ飛んでしまうような、実に真の抜けた声が聞こえた。
誰の声などとはもはや言わずとも分かる、妻、の声だった。


「しんすけー、ハッピーバレンタイン★って訳でー、チョコ頂戴」

「はァ・・・?」


帰って来た夫に対する第一声が、それか。
いよいよ眩暈が本格的な頭痛となって、高杉は額を押さえた。
そして今まで腹を立てていたのが、実にアホらしくなってきた。
溜息を一つ吐きを見ると、何やら手を差し出していた。
何だ、この手はと問うと、チョコを寄越せと催促してきた。
時々、何故この女と結婚したのか、と思うことが多々あるが、今日、今、この瞬間ほどそう思ったことは無いだろう。


「何で俺がお前にやらなきゃなんねーんだよ」

「何よー。晋助だって、私がチョコ好きなの知ってるでしょう?可愛い奥さんへのチョコの一つや二つないの?」

「・・・あるわけねーだろ」

「え・・・」

「馬鹿かてめーは。バレンタインっつーのは普通、女から男に渡すモンだろーが」

「そんなことないよー。だって銀時も小太郎も辰馬もくれたもーん」


ほら、と言われて見てみると、は両手一杯のチョコを抱えていた(バカ本のは箱一杯だった、が)。
そして更にリビングには、どこから貰って来た(あるいは買って来た)のかは知らないが、所狭しとチョコが並んでいた。
どうせなら自室でやれば良いものを、と思ったが、彼女の性格上、待ち切れずに玄関から入ってすぐのこのリビングに広げたのだろうことは高杉自身、容易に想像出来た。
それにしても、妻が無類のチョコ好き(というか甘いもの全般が好き。特にチョコ)だとは知っていたが、ここまでとは思ってもいなかった。
目の前に居る妻は目をキラキラと輝かせ、喜々としてチョコの山を眺めている。
その妻にとっての宝の山は、夫にとっては頭痛の種以外の何者でもないのだが。


「知ってると思うけど、私、ゴディバのチョコが好きだから。一番高いやつ買って来てね」

「・・・やる、これ」


そう言って放り投げたのは、先刻妻が欲しがっていたチョコだ。
妻は一瞬何が起きたのか分からず数秒固まっていたが、自分が受け取った物を見て、顔を綻ばせた。
床には、放り投げられた物を受け取る際、が落としてしまったチョコが散らばっていたのだが、もはやそんなことには気にも留めていない。
妻はチョコをテーブルに置くと、夫の首に腕を回し、触れる程度の軽いキスをした。
普段、滅多に自分からそのようなことをしない妻の行動に驚いた夫であったが、次に妻から発せられた言葉に、目を細めクツクツと笑った。
それはもう、先程の歪んだ顔とは打って変わった、上機嫌な顔で。


「今年は、私をあげるね」


どうやら待ち切れなかったのは妻だけではなかったらしく、夫婦はソファーに沈んでいった。




080129